湖水地方にて

From Wordsworth Daffodil Garden


2010年6月27日(日) 第四日目  


 ここにウサギが!
ウインダミアのホテルに着いて、すぐ、ホテルの裏の広い原っぱを一目散に走ってゆくウサギを発見。まるでピーターラビットだ。
同行の皆さんにこの話をすると見たい見たいとみんなが庭に出てみたが、その日はそれっきり姿を現さなかった。翌朝、3匹見た、2匹見たと続々と発見者が現れた。この広い原っぱだ。ウサギのファミリーたちはここで伸び伸びと暮らしているのであろう。


一直線にウインダミアの野を走るピーターラビット我を懼れて

さて、本日は高速道路を通って湖水地方のグラスミアを目指す。
 地図 地図
道路標識のMは高速道路の印で速度制限112K、Aは幹線道路で80K、Bは田舎の道で40Kだそうだ。

グラスミアはカンブリア地方と言われ、カンブリア地方は日本の房総半島くらいの広さ。

その中に湖、高原、海、などがあり、主な湖水は10個ほど。1951年に国立公園に指定された湖水地方は北はスコットランド、西は海、東と南は山という地形とのこと。バスの中での添乗員さんの話であった。

 山が出現
ロンドンを出てからずっと緑の平野が続いていたが、初めて低いけれど、起伏のある風景が現れてきた。

このあたりでも羊の姿が見られた。湖水地方の羊は、添乗員さんのお話に依れば、 ハードウィック (子羊の時は顔が黒く、成長するとチョコレートブラウンに、大人になると顔は白くなり、体は薄いグレイで頑丈な脚を持つ。雄だけ角を持つ。)とスゥエールデール(同じく子羊の時は顔が黒く、おおきくなると口のまわりが白くなり、脚が細い。雌も雄も角を持つ。)の2種類だそうだ。なかなかおしゃれな羊たちではある。
 石垣
上の画像の真ん中あたりに黒く続いているしきりは、ドライストーンウォールという牧草地の石で作った垣でこのような垣は9000キロも続いているそうだ。
石も職人がハンマーで同じ大きさにカットして積み上げるのだそうだ。到るところでこのような石垣を見る事が出来た。
左の画像はグラスミアの住宅で写したものであるが、こちらはコッツウォルズ・ストーン、ライムストーンと言われ、石灰石なのだそうだ。セメント、モルタルは一切使用せず、スレートを積むだけというやり方が良く分かる。
 ダブ・コテ−ジ
遂にグラスミアである。いよいよワーズワースが住んでいたというダブ・コテージに行けるというので、勇んでバスを降りて田舎風の道を歩き始めた。ワーズワースの有名な水仙の詩からずっと湖水地方への憧れを持ち続けて来たのだ。しかぁーし、何としたこと!道路からこのダブコテージを眺めただけであった。自由時間があるようだったら、ここに戻って来よう!!

無情にも添乗員さんはどんどんクラスミアの町の中心へと歩いて行く。町と言っても賑やかさは無い。店も殆どが登山用品店である。日本人から見たら山という程の山など無いのに、立派な登山グッズの店が並んでいるのがちょっと可笑しかった。
 ジンジャーブレッド
この先に行くとジンジャーブレッドの美味しいお店がありますと添乗員さん。何となく良い匂いの漂う小道に看板が。所が未だ開店していなくて匂いだけで通り過ぎ、ワーズワースの眠っているとうオズワルド教会へと向かう。
ワーズワースは18世紀から19世紀にかけてのロマン主義の詩人で、コールリッジと共に詩集を出している。ワーズワースは身をもってフランス革命を経験しているとの事。一番有名なのが、水仙の詩である。

右下の画像は以前、友人がダブコテージを訪れた記念にと土産に頂いたものである。  水仙

ワーズワースが眺めた黄水仙はここグラスミアのものでは無かったようだが、長い間心の中で育んできたワーズワースが見た水仙の咲く風景はそのまま乱される事は無い。

 ワースワースの墓













同じ墓石に妻のメアリーと共に名前が刻まれてあるワーズワースの墓は意外に質素なものであった。(画像左端)
 ケルト人の墓
ワーズワースの墓の近くにケルト人の墓があった。珍しい形で初めて見るものであった。ケルト十字というらしい。帰国してから、コーラスの練習会場であるルーテル教会で同じ形の印がほどこされた布を発見した。ケルトとの関連は?

質素なるワーズワースの墓近く形異なるケルト人の墓
   

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